2014年12月22日月曜日

リアリティのダンス/ホドロフスキーのDUNE

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Canon PowerShot S110

早稲田松竹で『リアリティのダンス』と『ホドロフスキーのDUNE』の二本立てを観て来ました。アレハンドロ・ホドロフスキー二本立て。後者はホドロフスキーとは別の監督によるドキュメンタリー作ですが。

『リアリティのダンス』は23年ぶりに発表されたホドロフスキー監督最新作。白状すると第一のお目当ては『DUNE』の方で、『リアリティ〜』については勿論興味は大いにありましたが、流石にもう四捨五入して90になるお爺ちゃんが『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を撮れるわけもないし、まあそんなに期待せんでおこう……と大いに舐めて掛かっていたのですが、いきなりスクリーンが一面真っ赤になった後に監督自身によるナレーションが力強く語られる導入部から完全に持って行かれました。ホドロフスキー自身の少年期の体験が下敷きになった作品ですが、大統領暗殺を目論む共産主義者である一方で家庭ではひどく強圧的に振る舞う父親が辿るホドロフスキーの過去作を濃縮したような夢とも現ともつかぬ旅路といい、神がかりというか(少しイカれた)神様そのもののような母親(何故か終始一人だけミュージカル映画の登場人物みたいになっている)の強烈なキャラクター造形といい、どこまでが実話でどこからがフィクションなのかは定かではありませんが、ホドロフスキーの内面が強く反映された物語であることは間違い無いです。ハッとさせられるビジュアル、常軌を逸した登場人物たち、「……何で!?」と思わず突っ込む展開とホドロフスキー節全開の素晴らしい映画でした。早くも次回作の話もあるそうで、『DUNE』で余すところなく映されるホドロフスキーの精力的な姿を見ると年齢による限界なんて本人の心の持ち方次第でどうとでもなるんだな、と思い知らされました。

あと、中盤で主人公(=少年時代のホドロフスキー)がクラスメートたちに皆でオナニーしようぜと誘われるシーンがありまして、南米に逃れてきたユダヤ人一家という出自故に割礼跡をからかわれるという悲しいシーンなんですが、そこの字幕が「岩陰でみんなでシコろうぜ!」となっていて、まあ最初は流していたんですがよくよく考えると「シコる」って映画の字幕で使うような単語か!?としばらく気になって仕方がなかったです。

そして次に観たのが『ホドロフスキーのDUNE』です。『デューン・砂の惑星』を原作として企画され、クランクイン寸前までこぎつけながら、壮大なコンセプトを実現するだけの資金を集められずに流産した幻のSF超大作を追ったドキュメンタリー。出演を渋るオーソン・ウェルズを食い物で釣った話とか、サルバドール・ダリを何としても出演させたい!ということで無茶なギャラ要求をどうにかして丸め込む話とか、面白エピソードがどんどん出てきます。で、一番楽しみだったのが音楽について。複数の惑星が舞台になる物語という事で、各惑星ごとに別のアーティストに音楽担当を依頼するという話になるんですが、とにかく各界から最高のものを集めるという発想からか、いきなりPINK FLOYDが出てきます。しかもプロデューサーが話を持って行ったのが『狂気』のレコーディングが佳境に入った頃のアビィ・ロード・スタジオ。そしてその次に出て来るのが個人的に一番のお目当てだったMAGMA!この映画の企画はパリを拠点にして進められており、そのパリでホドロフスキーはギーガーと一緒にMAGMAのライヴを見に行ったそうです。「ゴシックで、行軍のようで、恐ろしさを感じさせる」のが起用の理由だったそう。合間にはクリスチャン・ヴァンデのインタビューと"Zëss"のライヴ映像も挟まれます。ホドロフスキーからは(PINK FLOYDを差し置いて)「当時世界最高のグループを起用した」という発言も有り、MAGMAファン的には大満足でした。

ギーガーやメビウスら綺羅星の如きスタッフが練りに練ったビジュアルからは傑作の予感が漂い、各スタッフの経験や残された絵コンテが『スター・ウォーズ』や『エイリアン』に重大な影響を与えた、という話が紹介され、ニコラス・ウインディング・レフンは「もしこの企画が実現していればその後のSF映画の歴史はどうなっただろうか」と語ります。映画会社の無理解により傑作になるかも知れなかった作品が闇に葬られたことにやるせなさは感じますが、一方でその無茶過ぎる壮大さと哲学的・宗教的な物語は実際に制作までに至っていたら大惨事になってたんじゃないか……という気がしないでもありません。ついに世に出なかったからこそ、この作品は神秘と伝説に包まれ、その精神性が後世に伝えられるものになったんじゃないでしょうか。